



その後の第二次世界大戦勃発時には、神戸在留の外国人たちの活動は大きく後退し、その多くは祖国へ追われていきます。さらに昭和20年(1945)の6月5日の神戸大空襲により、神戸の港や市街地は壊滅的な打撃を受け、旧居留地も126区画のうち約70%の区画の建物が破壊されてしまいました。
戦後、戦災復興事業が中心となって復旧は開始されますが、当時の社会情勢の中、旧居留地の復興は遅々として進まず、昭和25年(1950)の朝鮮戦争による特需ブームによって経済活動が活発化するとようやく、旧居留地内にも新しいビルが建つようになります。
昭和30年代後半になると、日本は高度経済成長時代へと突入し、神戸港も活気を見せますが、一方で東京への本社機能の流出傾向が強まり、旧居留地の地位も相対的に下がって、ビルにも空室が目立つようになります。
しかし昭和50年代頃から、旧居留地内に残されていた近代洋風建築物と歴史的景観が見直され、これらを活用してブティックや飲食店が新たに立地するとともにオフィスも再び増加しはじめました。昭和58年、旧居留地は神戸市都市景観条例に基づく「都市景観形成地域」に指定され、この頃から旧居留地は以前とは異なる趣の活気が見られるようになっていったのです。 |


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